N経済研究所

海底の奥深く 財宝は静かに横たわる

Thursday, February 16, 2006

純粋と世間知らず

 今日掲示板なるものを閲覧していて思った雑感

 昔によく見た映画で『アンタッチャブル』と言う映画がある。禁酒法時代のシカゴを舞台にしたマフィアのボスVS財務省の戦いの映画である。マフィアを追い詰めようとする財務省特別捜査官のエリオット、彼の身辺の人間が次々と惨殺されていき、ついには家族に危害を加える旨を通告される。そんな中での彼の台詞、「家には旦那の帰宅を待って、カーテンの色をどうしようか悩んでいる。そうやって暮らしている人間だっているんだ。」この台詞は、私のいい加減な記憶だから完全ではない。カーテンでは無く壁紙の色だった気もするが、意味としては通じると思う。
 
 さて、話を戻す。人間が社会から孤立する事によって生まれる世間とのズレ、これを一般的には「世間知らず」と言う蔑んだ言葉で表現される。世間を知らないという言葉でぼかして有るが正確に言うと「阿呆」今風に言うと「痛い人」と表現される。
 世間に完全に合わせる必要など無いし、私の人生自体かなり常人離れしているから大きな事を言えた義理は無いが、このズレが美しくなってイノセントとなるかただの阿呆となるかこの差はかなり大きい。
 例えば上記の映画の話、自分の嫁は自分の娘を教育し家を守る。カーテンの色を変え家の雰囲気を新鮮にし、季節が来ればベリーを摘んでジャムを作り、花が咲いたらこれを愛で暮らす。素晴らしい。ビューティフル。
 しかし現実は、退屈な生活に飽き飽きしヒステリックになり、自分がこんな人生でイライラするのは壁紙を貼っている接着剤からシックハウス成分が発散されているんだと喚き散らし壁紙を破損、昔ながらのご飯粒で貼り付ける等と言う電波を発し壁紙と壁の間に大量のカビが発生、あまりの臭いに転居をしようとしても家主に敷金から壁補修料を引かれ3畳間に5人で暮らすと言う悲惨な現実が私を襲い、満たされない嫁は毎日近所の人間の浮気の噂を流したり内容証明を送ると嘯いたりしているのである。シーイズベリーストレーンジ。
 こういったあさましい姿を見せ付けられると多少性格が汚れても世間ズレしてしまった人間といる方が私は一緒にいて心地よいのだろうなと思ったと共に複数のコミュニティーと付き合いを持ちバランス感覚を磨くと言うのも大事なのだろうなと思いながら、魚肉ソーセイジと緑茶を頬張った。

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